HITORIGOTO
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年賀状



 2003年、あけましておめでとうございます。今年もウダウダとネタの続く限り書いていきたいと思ってますので、よろしくお付き合いくださいませ。

 お正月と言えば年賀状。これには毎年頭をかかえてしまう。これでも一応デザイナーなんだから、少しはそれっぽい物を作りたいと思うのは当然だし、また女房が中途半端に同業者なもんだから、まぁ、あれやこれやイチャモンを付ける、付ける…(笑)。そのくせ決して自分で作ろうとしないのはどういうわけだ…。いや、まぁ、正月のっけからそんな事を書きたいのではない。

 私の周りには、当然ながら同業者の知り合いが多い。つまり、みんなデザイナーだ。なので少し前まではみんなそれなりに凝ったデザインの年賀状をくれていたものだ。ところがここ数年「おまえ本当にデザイナーか?」と言いたくなるものがとても多い。普通、私の年代は子供が幼稚園から小学校に上がるくらいの世代であり、彼らもまたしかりで、やはり自分の子供の写真を使いたくなる、もしくは使わざるを得ない状況にあるせいなのだろう。年賀状を作る時期がデザイナーにとっても、一番忙しい時期と重なっているせいも勿論あるだろう。
しかし。そりゃ私だって、そんなに威張れる年賀状を出しているわけではないけど、少なくともカメラのフイルムメーカーに写真を渡して作ってもらうような、既製のデザインは作ってない。なんかこう、同じ子供の写真でも「おっ、さすがにひと味違うな」と思わせる物を作れないものなんだろうか。

 随分前の話だが、私がまだアシスタントだった頃、勤めていたデザイン会社で年賀状社内コンペが催されたことがある。多分デザイナーへの自己啓発やプレゼン能力、および刺激を与えることが狙いだったのだろう。社長のポケットマネーから2万円が賞金に充てられ、チーフ格だった2人のディレクターが審査員。つまりディレクタークラスのお二人は参加しない。残り数名のデザイナーが2万円を争って自社の年賀状デザインを作ることになった。

 当時10万円そこそこしか給料をもらっていなかった私は、諸先輩方にかなうはずもないと思いつつ、それでも燃えた。もし万が一、当選すれば2万円もらえるし(あの当時2万円はでかい)、いつもアゴでこき使われている身としたら、何より気持ちいいではないか。

 で、仕事の合間合間に考えた。どんなデザインにすればいいだろう。しかしいくらやる気があっても、そこはまだペーペーのアシスタント。結局、その年の干支だった虎のイラストを切り絵で作り、あけまして云々を作字して絵柄にかぶせた。いや、それなりに良い出来だったと今でも思う(とかく記憶とは美化されるもので…笑)。先輩方は自分の作ったデザインは決して私には見せてくれなかった。

 そしてプレゼン当日。全員のデザインが回収され、すべて一枚の大きなプレゼン用ボードに貼りだされ、その前にみんな集合した。私は一目見て愕然とした。私のデザインだけ異様に浮いているのだ。先輩方のデザインは、キレイとかカッコイイとか言う前に、全然年賀状らしくない。「年賀状でござい」っていうデザインは私のだけである。あっけにとられていると、ディレクターから「まず木村から説明しなさい」と声がかかる。「えっ?なんでオレから…」と焦りながら、説明と言われても言葉が出ずに困り果てた。「いや、まぁ、見たまんまっす。寅年だから虎。年賀状だし、和風に切り絵にしてみました。」これが私の精一杯のプレゼンテーションだった。

 先輩方のプレゼンテーションはすばらしく、なんでこのデザインなのか、このビジュアルは何を意味しているのか、そしてどんなメッセージを込めているのか等々、スラスラと説明していく。一見なんだか解らなかったビジュアルも、説明されてみると「あぁ、なるほど。よく考えられてるわ…」と感心することしかりだ。仮にもデザイン会社の出す年賀状は「年賀状でござい」っていうデザインより、一見意味不明に見えても、そのセンスやインパクト、そしてどんなメッセージを紙面に表現するか、と言う方が大切なわけだ。ひいてはそれが会社の実力を示すことであり、仕事へ繋がる可能性だってある。

 結局採用されたのは「空中に石が浮いている絵柄」だったと記憶している。謹賀新年とかの文字が入っていなかったら、まったくもってこれが年賀状とは誰も思うまい、という物だった。プレゼン大会終了後、私の上司でありいつも面倒をみてくれているディレクターが「どうだ、いい勉強になっただろう。(私のを指さして)そういうのは自分個人の年賀状じゃなくちゃな。」と笑いながら言った。
多分、上司はもちろん他の社員全員が、私がこういう物を作るだろうと思っていたのだろう。そして必死に切り絵を作っている私の姿を見て、陰でクスクス笑っていたのかもしれない。くそぉ…。

 しかし、たしかに勉強になった。なにせプレゼンテーションを自分でやったのも、この時が初めてだったし、何より物の考え方を学んだ気がする。
その会社を退社後移った数件目のデザイン会社で、名刺をリニューアルするというので、私はディレクター的な存在だったこともあり、社長にぜひと持ちかけて同じようなプレゼン大会をやったことがある。はたして新人デザイナー達は、あの時の私のようにプレゼンの仕方やデザインの考え方を感じてくれただろうか。

 毎年、年賀状の季節になると、あのプレゼンテーションのことを思い出す。そしてあれから私の年賀状には干支が登場することは滅多にない。

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