HITORIGOTO
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神楽坂



 私の事務所は東京の神楽坂という所にある。なぜ事務所をこの神楽坂に借りたかというと、前にも書いたが「自宅から電車1本で通えること」「出力センターが近いこと」「独立当初、仕事がもらえると思っていたお客さんの会社に近いこと」が理由だった。「だった」というのは、そのあてにしていたお客さんからは、結局仕事を貰えることが無かったことと、現在はMO納品が主流で出力センターに出力を依頼することが無くなってしまったためである。
本当は神楽坂ではなく一つ手前の飯田橋の方が上の条件にもより良く当てはまるのだが、さすがにJRの駅がある土地は家賃も高い。事務所を探して不動産屋を訊ねて回った時「一駅引っ込めばかなり安くなりますよ」と言われ、神楽坂に落ち着いたわけだ。
飯田橋駅よりこちら側は新宿区。住所に「神楽坂」と付かない私の事務所は、名刺を渡すと必ず「事務所は新宿ですか」と言われるが、ここはとても新宿駅までは歩けない新宿区の隅っこだ。

 全く意識していなかったのだが、実はこの神楽坂という地は、独立開業するまで私と全く無縁の場所だったわけではない。私の祖父・祖母は昔この神楽坂に住んでおり、父も叔父・叔母も、ここで生まれ育った。祖父たちはその後、北海道に開拓民として移住し、やがて千葉県に移ってきた。そして父は東京に住み、私も東京で生まれた。神楽坂は私にとっては何の思い出もない土地なのだが、父や叔父、叔母にとっては思い出深い場所なのである。現在木村家の墓も神楽坂にあるし、同業者で大先輩の叔父も近所に事務所を構えている。

 神楽坂と言うと何を連想するだろう。たいていの人は料亭や芸者さんを想像するのではないだろうか。しかし現在は、昔のような料亭はほとんど姿を消してしまっている。今でも数件それらしい店を裏通りで見ることができるが、実状はわりと一般的な料理屋になっていると聞く。もっとも料亭など私には一生縁がないだろうから、残っていたとしても関係ないのだが…。

 神楽坂は名前の通り「神楽坂」という坂道に沿って開けている町である。「神楽坂」以外にも坂道の多い町で、つまり地形が高台になっているわけだ。父の話によると、昔は陽の当たる高台の上に金持ちが住み、陽の当たらない坂の下に貧乏人が住んでいたらしい。で、坂の上の金持ちは、夜な夜な遊びに坂を下り、その金持ち目当てに坂の下にはお店が広まったという。ここに料亭が建ち並んだのも、そういう経緯からだそうだ。私の祖父は坂の下の貧乏な方(笑)で米屋を営んでおり、そういう料亭などに米を配達していたと聞く。

 また、この町は印刷関係の会社がとても多い。近くに大日本印刷の工場があるせいか、印刷業界では別名「大日本村」とも呼ばれている。今のように印刷や製本技術が発達していなかった昔は、印刷物の製本はとてつもなく重労働だったわけで、人件費の安い坂の下の貧乏人が、この仕事に従事するようになった。今でもこの近辺に印刷関係の会社が多いのは、その頃の名残だそうだ。

 私の事務所は赤城坂という、すさまじく急な坂道を下ったところにある。雪が降ると車両通行止めになるような坂だ。お客さんから呼び出しがある度に、この坂を毎日数回上り下りしている。坂の多い町は見た目になんだかカッコイイのだが、住むとなると結構きつい物がある(笑)。
私がこの地に事務所を借りたのは、別に木村家ゆかりの地であったからでも、印刷業界の盛んな場所だったからでもなく、全くの偶然なのだが、何となく感慨深い気がしないでもない。

ここに事務所を構えてあっという間に6年以上。しかし未だに坂の下のままだ(笑)。

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