HITORIGOTO
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ソラヲコエテ



 2002年。あけましておめでとうございます。

 「空をこえて ラララ 星のかなた」はご存知、鉄腕アトムの主題歌。今は無き手塚治虫氏が日本で初めてTV放映用に作った、知らない人はいないだろうというほど、有名なアニメーションだ。
私は今年で40才になるが、その私でさえ、この時の放映は「おぼろげ」にしか覚えていないのだから、鉄腕アトムの最初の放映をライブで見ていた人は、だんだん少数派になってきていると思う。

 元旦の新聞に入ってきた「お正月TV欄」に書いてあったが、来年「鉄腕アトム」がリメイクされて放送されるらしい。この移り変わりの激しい時代に、数十年も前のアニメがよみがえるというのは、実に驚くべきことだと思うと同時に、やっぱり「本物」は時代を超えて生き残るものだと感心した。

 アトムのすごいところは、見た人に「夢」という力を与えてくれたことだと思う。空を飛び悪人をやっつけるロボットはまだ出来そうもないが、アトムを見て育った多くの人がその夢を育み、人を助け、生活に役立てるための機械を開発している。10万場力は無理でも、それは電子レンジやパソコン、医療機器に形を変え、アトムの心を脈々と受け継いでいる。

 思えばアトム以来、様々なロボットマンガが子供たちの心を夢や冒険心で満たして来た。手塚氏に影響された漫画家たちがアトムを目指し、追い越そうと作ってきたのだろう。もし鉄腕アトムが無かったら、マジンガーZもガンダムも生まれなかったかも知れない。

 厳密にはロボットではないが、私が好きだったのは石ノ森章太郎氏(当時は石森章太郎)のサイボーグ009だ。どうでもいいことだが、主題歌に「赤いマフラーなびかせて」とあるのに、白黒テレビだったので赤くは無かったのを覚えている。さらに、カラーにリメイクされたときは、なぜかマフラーは黄色になっていた(笑)。
009は戦争兵器として開発されたサイボーグで、人間の心を持つが故に自分の運命を呪い、組織から抜け出し、自分たちをサイボーグにした悪の組織と戦う、というストーリーだった。もっとも夢中で見ていた当時の私には、そんな社会的な背景などわからなかったが。

 手塚氏が生前、何かのテレビ番組で話していたことを思い出した。「アトムは偉すぎだ。子供のマンガは子供の目線で作るべきだったかも知れない。その点ドラえもんはすごい。まさに子供たちの目線で、子供たちの生活の中に存在するロボットだ。ロボットとは本来、そうあるべきではないのだろうか。」
あやふやな記憶だが、確かそういうことを言っていたと思う。

 技術は「夢」から作られる。まさにアトムがその象徴だろう。夢の方向を間違えると、その技術は殺人兵器となり、悲しみや憎しみを量産する機械になってしまう。2001年はショッキングで悲しい出来事がありすぎた。今年は良い年であってほしい。技術はそのためにこそ生かされるべきだ。決して009を産んではならない。楽しく、豊かに、そして子供たちの未来にドラえもんが存在するように。アトムは、手塚氏は、それを望んでいたはずだ。

 鉄腕アトムの物語の舞台設定は2003年だとその新聞に書いてあった。つまり来年、お茶の水博士によってアトムが生まれる年なのだ。私が幼い頃、白黒テレビにかじりついて見ていた、あの未来の物語の時代が目の前に来ている。はたして今この世界にお茶の水博士はいるのだろうか? アトムにやっつけて欲しい悪人だけは、たくさんいそうだが。

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