HITORIGOTO
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不 惑



 「吾、十有五にして学に志し、三十にして立つ。四十にして惑わず、五十にして天命を知る。六十にして耳順う。七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず」

論語によると、私は惑わない年を迎えたらしい…。

 で、惑わないのか? と聞かれれば、迷わず「惑いっぱなし」と答える。たかが40年でそんなに人間は出来上がるもんじゃない。
子供の頃40才のおじさんは、途方もなく大人に見えた。それはもう、大人以外の何者でもなく、自分がどうあがいても立ちゆかない、遠い別世界の異人だった。ところがその年になってみてどうだ。自分に子供がいないせいもあるかも知れないが、本質的にはあの頃と何も変わってないではないか。あ、いや、しかし体だけは確実に年をとっている。髪の毛は薄くなり、腹は出て、ちょっと走ればすぐに息切れする。肩に至っては数年前から四十肩だ。あぁ情けない、と思いながらも、だからといって体を鍛えようという気力もまったく無い。

 この頃の若いものは…。おきまりの常套句である。髪の毛を伸ばしパーマをかけていた10代〜20代頃など、私もよく言われた。
最近、電車の中で化粧をしたり、着替えまでする若い女性を見ると、つい同じ事を思ってしまう自分に、ハッとすることがある。多分、私に対して「この頃の〜」と思った世代の人も、若かった当時、さらに上の世代の人に同じ事を言われたに違いない。親父たちの世代は映画を見たりロックを聴くと「不良」と言われたのだから、映画好きの私の親父などは、この常套句をよく言われたはずだ。つまり「この頃の若いものは」と言いたくなるのは、時代の変化についていけなくなった人が発する言葉なのかもしれない。それにしても電車で着替えるのは、どうかと思うが…。

 少年老いやすく学成り難し。これはもっともだ。小学生の頃など1日は非常に長かった。時間は無限にあると感じていた。20才になるころは「あぁ、もう10代ではないんだなぁ」と思い、30才になったときは「うわぁ、もう30かぁ。早いなぁ」と言い、今は「ついこの前30になったと思ったのに…」と感じている。して、学業は全く成らないまま今日に至る。30代半ばでMacintoshに出会い、DTPやWebを始めた関係で、なんだか学生時代より今の方が勉強をしている気もする。スクリプトなんて、これはもう数学だ。サイン・コサイン・タンジェントなんて出てきた日には完全にギブアップ。でも「もっと勉強しておけば良かった」などとはちっとも思わない。学校で教えられる数学に、あの当時なんの興味もわかなかったから。今、生きるために必要であり、それなりに楽しみながらやれるスクリプトの方が、よっぽど身になっている。まぁ、勉強というほどの物ではないのだが。

 そういえば、高校の時「物理が好きで、物理がやりたいから」と大学へ進学した同級生がいた。当時、すごいヤツだなぁと思ったが、いったい物理の何処が面白いのか、とてもそいつの趣味が解らず、変わったヤツだとも思った。学校で教える授業の中に、そこまでのめり込める物を見いだした彼の学生生活は幸せだったのかもしれない。彼も40才になっているはずだ。はたして彼は今、惑わないのだろうか? あって話がしてみたいが、顔も名前も忘れてしまった。

 考えてみたら私はデザイナーという職業について、アルバイト時代を含めると、そろそろ20年近くたつ。つまり人生の半分をデザイナーとして過ごしているわけだ。これって我ながらすごい事だと思う。この飽きっぽい性格でよくぞここまで続けてきたものだ。
とはいえ、今更、飽きたから別の職業に転職するのは不可能だろう。就職するにしても年齢制限ではじかれるのは解りきっているし、何よりまたアシスタントから始める気力は、私の中には全く残っていない。つまり不惑とは「そろそろ他の道はあきらめなさい」という事なのかも。

 なんとなく思う付くまま、ダラダラとこの文章を書いてみたが、結局自分でも何が言いたいのかわからない。つまり、不惑どころかこの話の結論ですら戸惑っている40才である。なんだ、本当に小学校の作文の時間と変わらないではないか。はぁ。

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