デザイナーになり立ての頃、私はどういうわけか流通関係の制作をしている会社ばかりを渡り歩いてきた。最初の就職先は量販店の店頭POPを専門に作っている会社。そこを退社した後は、新聞折り込みチラシを作っている会社で、主にサミットストアというスーパーや、オートバックスのチラシを作っていた。その会社が倒産し、親会社である印刷会社のデザイン部門に私は引き取られ、引き続きチラシばかり作った。デザインを主な売り物としているデザイン会社と違い、印刷会社のデザイン部門というのは、どこか「デザインは印刷のオマケ」みたいな空気があり、それになじめずにいたところ、やはりチラシを専門に作っている会社からオファーが来て、渡りに船とそこへ移る。そこでなんとか一人前と認めてもらえるようになり、名刺の肩書きもアートディレクターになり、部下も付いた。そういう経緯で仕事を覚えてきた私は、それまで流通畑以外の仕事の経験は皆無に等しかった。
別に好んで流通関係の会社ばかりを選んだわけではないのだが、これも何かの縁なのだろうか。その会社を退社後は、さすがに今度はちがう畑の仕事を覚えたくて、別のデザイン会社に移ったのだが、やはり仕事を覚えるための数年間をひとつの業界で過ごしてしまうと、そのテイストをずっと引きずってしまう。
ご存知の通り、量販店の折り込みチラシというのは、それはもう蟻の這い出る隙もないほど、アイテムがぎっしり詰め込まれている。今日のお買い得は何か、ティッシュペーパーはいつ買った方が何円安いかという情報に、まるで命をかけているかのごとく眺める主婦たちがターゲットだ。デパートやファッションビルのチラシならともかく、量販店のチラシにデザイン性を求める要素は一見皆無に見える(本当はものすごくある。念のため)。
実際、制作の現場で、ちょっとした空きスペースの扱いをめぐって、私は一度クライアントのバイヤーと言い争いをしたことがある。結果はあっさりと私の負け。こう言われて切り返す術がなかった。
「デザイナーであるあなたが、この空きスペースにこだわるのは理解できる。しかし、我々は商品を売ってナンボの商売をしている。これはそのためのチラシだ。そしてこのスペースあたりに、我々がいくらお金を払っていると思う?」
大手チェーンの量販店チラシはロットが大きい。つまり印刷部数が多いということだ。その印刷代はバカでかい金額になる。それをチラシの面積で割ると1平方センチあたり…。と電卓をはじき、「君が払ってくれる?」というだめ押しの一言付きだった。
まぁ、その話は置いておいて、そんな世界で育ってきた私は、とにかく余白の大きく扱えるデザインに常日頃からあこがれていた。ホワイトスペースを上手に生かしているデザインは本当に美しい。白地にポツンと写真が配置されているような、おしゃれで潔いポスターなどを街で見かけると、思わずため息が出てしまう。毎日毎日、卵がいくら、牛乳がいくら、という仕事ばかりしている私にしてみれば、それはもう羨望のまなざしと言うか「こういう仕事がしてみたい」という欲求に駆られずにはいられなかった。ある種のコンプレックスさえ感じていたと言ってもいい。
チラシ制作の会社を退社後に入社したデザイン会社は、カタログ・パンフレットなどが主流で、かなり今までの欲求を満たすことができる仕事にありつけるようになった。時期もちょうどバブルにさしかかる時期で、贅沢なデザインが好まれる風潮でもあった。ところが、そういうというデザインは、いざやってみると非常に難しい。いや、難しいのは解っていたが、何しろそれまでの仕事と180度方向性が違うわけだ。最初はかなり戸惑った。ギュウギュウに詰め込むレイアウトは、手間としてはとても大変だが、根気よくやればどうにか形になる。それに比べて、「白地にポツン」というレイアウトは、一発勝負と言うか「感覚が全て」に近い物がある。
それでも、わりとすぐにコツを掴むことが出来たのは、皮肉なもので、あのギュウギュウに詰まったチラシの制作で覚えた感覚が生かされたのだと思っている。良いチラシのデザインは、実はとてもシンプルだ。一見シンプルには見えないかも知れないが、ゴチャゴチャして見えるのは、アイテム自身が持つ色とプライスの金赤文字のせいであり、あれだけの情報量を整理して盛り込まなければならないチラシだからこそ、そこに無駄な飾りや無意味な色を入れるスキはない。
そしてチラシ制作に一番求められるのがバランス感覚。紙面の片方だけ詰まっていて、もう片方はスカスカというわけには行かないわけで、考えてみたら「白地にポツン」のデザインだってバランスそのものなのだ。
会社案内の表紙に、ロゴが配置されているだけのデザイン。まさに望んでいた物を初めて作ったときは、おぉ、かっこいい、これは本当に自分のデザインか? とばかりにエクスタシーすら感じた(笑)。
ところが、これはこれで色々問題がある。例えば、ただロゴを置いただけ、つまり手抜きに見られてしまうことが多い。「悩みに悩んでたどり着いたシンプルさ」というのは、飾り散らしたデザインの数倍の力を持っているもので、決して手抜きでは無いんだ、なんて説明しても解ってもらえるわけがない。と言うか、それまでそんなデザインなど絶対に許されない環境にいたせいか、お客さんがこれを手抜きだと思う気持ちが、とてもよくわかってしまうのが悲しい。人一倍思い入れを持っているせいもあり、とても悔しいのだが、お金を出す人が望むなら仕方がない。涙を飲んでそれっぽい地紋を入れたり、飾りケイなど入れてあげると、お客さんは喜ぶ。「ほら、良くなったじゃない」ってな感じで。。。
そういうことも、ままあるのだが、それでもそれからはスッキリしたデザインが私の作品に多くなった。しかし「なら、今では余白を生かしたデザインが得意なのか?」と言われると、実はそうでもなかったりする。
ホワイトスペース。いや、別に白くなくてもいいが、余白の取り方には、今でもかなり悩む。こんな無駄なスペースがあるなら、もっと何か入れろ、とか、その分文字を大きくしろ、とか言われるのではないか…と、思わず日和ってしまいそうになる。やはり根底にチラシ制作が色濃く残っており、未だにあの時のコンプレックスから解放されていないのだろう。そして、その呪縛から逃れたい気持ちが、今の私のデザインの原動力になっているのかも知れない。
現在、HPの作品集のページをリニューアルしている。自分の作ってきた作品を改めて眺め直すと、そんな気がした。
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