HITORIGOTO
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浅き夢みし



 昔、フォーク少年だった。ギターをジャカジャカかき鳴らしては、下手くそな歌を歌っていた時期もあった。アルバイト代は全てレコード(CDではない)とコンサート代に費やしていた。そんな頃のお話。

 それが何時のことだったか、さすがに覚えてないので調べてみると、どうも1981年の事だったらしい。
ある日、フォーク仲間で昔からの友達、Sから電話がかかってきた。
「あのさぁ、コンサートチケットのタダ券2枚貰ったんだけど、いっしょに行かない?」
「ん? 誰の?」
「聞いたこと無い人。なんか初の東京進出って書いてあるから、どこか地方でメジャーになりつつある人なんじゃないかなぁ。」
「うーん、ヒマだからいいけど、普通そういうのって、女誘うんじゃない?(笑)」
「お前に言われたくないよ(笑)」

 Sも私と同様、当時は色んなコンサートに行きまくっていて、その関係で会員になっていたコンサートの呼び屋(イベント主催団体)から招待状が送られてきたのだそうだ。高校を卒業してプータローをしていた私は、特別用事があるわけでも無し、誘われるままSに付き合うことにした。
「会場は日本青年館(だったと思う)だって書いてあるから、もしかして早めに行った方がいいかもよ。なにしろ自由席だし。」というSの言葉で、我々は開場時間の1時間前に着くように家を出た。日本青年館と言えば、かなり大きな会場だ。聞いたことの無い歌手とは言え、そこでライブをやるくらいなら、それなりに人が集まるのだろうと我々は思ったのだ。

 予定通り1時間前に会場に着く。天気が悪かったせいかも知れないが、人影は我々2人以外には見あたらない。それどころか入口にも、これからここでコンサートをやるような気配がない。
「おい、本当にここかよ?」
「あれぇ…。おかしいなぁ。」
ゴソゴソとチケットを取り出し確認するS。
「うん。間違いない、ここだよ。日付もあってる。」
「でも人もいないし…。なんか、そんな雰囲気じゃないぞ…。」

あたりを見回してみると入口から少し離れた壁に、1枚だけポスターが貼ってあるのを見つけた。そこには確かに今日、ここでコンサートがあると書いてあった。「村下孝蔵」という名前と共に。

 小雨の中、待つこと1時間。開場の時間になった。どこからかコンサートを見に来たらしい人が4〜5人現れて我々の後ろに並んだ。入口はまだ開かない。「それなりに人が集まるのだろう」と思っていた我々の考えは見事外れたわけだ。

 しばらく待たされて入り口が開く。Sが一番、私が2番乗り。中に入ると係りの人が
「なるべく前に詰めてお座りください。」と誘導する。我々は1番前の席のど真ん中より少し右側、つまり普通ならS席なんてもんじゃない、かぶりつきの席に陣取った(ど真ん中だとPAの関係でよく見えない)。人気のあるアーティストなら、絶対に座ることのできない場所だ。自由席だと聞いていたので、多分2階席だろうと思っていたのに…。

 開演時間が近づいても我々の他には、先ほどの4〜5人しかいない。何だか、だんだん心細くさえなってくる。開演時間間際になって、ようやく数十人の人が現れて、一応最前列は埋まったようだ。
予定時間を過ぎてもまだコンサートは始まらない。多分もう少し人が集まってから始めるつもりなのだろう。しかし、結局それ以上お客さんは来なかったようで、30分以上たったところで、先ほどのスタッフの人たちが後ろに座り、なんとか3列くらい埋まった状態でコンサートは始まった。つまり客よりスタッフの方が多い状態…。

 パチパチパチ。少し虚しい拍手と共に、その人は現れる。見た目はそこらにいそうなオッサンだった(年は決してオッサンではない。当時28才のはず)。そしてそのオッサンは、おもむろに演奏を始めた。

 いい声だ。曲もいい。始めて聴いた曲だけど、なんかいい感じ。演奏した曲目が何だったのかはさすがに覚えていないが、この大きな会場にほとんど客がいないことなど忘れてしまうほど、すぐにその人の世界に引きずり込まれた。これが村下孝蔵さんとの出会いだった。

 朴訥とした口調のトークも、この人の人柄を現しているようで好感が持てた。子供の頃、段ボール箱を削ってギターもどきを作り、ベンチャーズのまねごとをしていた話しなどが、かすかに記憶に残っている。

「いいじゃん、この人。」
「そうだよね、このコンサートだって主宰者の売り方が悪いよ、ちゃんと売れば、きっともっと売れるよ、この人。」
コンサートが終わりホールを出ようと廊下を歩きながら、私とSはそう話していたのを覚えている。

 出口を通りすぎようとすると、スタッフの一人がこう叫んでいた。
「これから近くで今日の反省会をやります。よろしければご参加くださ〜い。」
「えっ? 何? 反省会? オレらも参加していいの?」
顔を見合わせる私とS。当時、我々はアマチュアフォークサークルを仲間数名とやっており、毎回コンサートの後には、やはり反省会をしていた(いや、宴会と言った方が正しいが)。プロのコンサートの反省会なんて、参加できるチャンスはそうそうあるものじゃない。当然のごとく参加させて貰うことにする。

 反省会の会場は近所の喫茶店の2階だった。われわれの他にお客さん数名とスタッフ若干名いたと思う。まず各人、簡単に自己紹介をして、今日の感想など言い合ったと記憶している。どうも話を聞いていると、村下孝蔵という人物を今日始めて知ったのは、我々だけのようだ。みんな熱烈なファンだったみたいで、九州からバイクを飛ばしてきたと言う強者の女性もいた。
自己紹介が半分くらい終わったあたりで、遅れて村下孝蔵さん登場。な、なんと私の斜め前の席に座った。飲み物を注文して、何もしゃべらずにじっと感想を聞いている。プロの歌手が手を伸ばせば届くところにいる、しかも、ついさっきまで目の前でスポットライトを浴びていた人だ、そう思うと私は少々ドギマギした。数時間前まで名前も知らなかったくせに…(笑)。
やがて私とSの自己紹介の番になる。
「招待状貰って来ました。村下さんのことは今日始めて知りました。すごく良かったです。僕等も音楽やってて、コンサートとかしてるんですけど、すごく参考になりました。」
なんてことを言った気がする。

 翌日、早速レコードを買いに走った。その時発売されていたのは、1stアルバムの「汽笛がきこえる街」、2ndアルバム「何処へ」の2枚。近所のレコード屋さんには置いてなかったので注文した。Sも買ったらしい。それから夢中で聞いた。特に「何処へ」に納められている「午前零時」という曲が好きだった。
この人、絶対に出てくる、きっと売れるよ。確信に近い物が私の中にあった。

 すぐに3rdアルバム「夢の跡」が発売。もちろん購入。「ゆうこ」という曲を聴いた時、あぁ、これいいっ! と、ピンと来た。そしてその曲はシングルカットされ、村下孝蔵初のヒット曲となる。ラジオで「ゆうこ」が流れるたび、オレはこの人が売れる前から知ってたんだぞ、この人とすぐ近くでコーヒーを飲んだことがあるんだぞ、と言いふらしたくてしょうがなかった(笑)。そして翌年「初恋」の大ヒット。4thアルバム「初恋〜浅き夢みし〜」リリース。ザ・ベストテンにも登場した。

 巷では「好きだよと言えずに初恋は〜」と、あの歌声をよく耳にするようになった。そして私はこの辺りで村下さんのレコードを買わなくなる。
曲は好きだった。相変わらずいい曲を書いていると思った。でも、なんだか熱が冷めてしまった。変なもので、売れてなかった頃は早く売れるようにと一所懸命応援したくなったのだが、ひとたび売れてしまって世間の皆が知るようになると、何となく応援する気が失せてしまった。変なファン心理。我ながら薄情だと思う。本当の意味でファンでは無かったのだろう。

 それから随分年月が流れた1999年6月24日、突然の訃報を聞く。
村下孝蔵 高血圧性脳内出血のため死去 享年46才。
「えっ? ……。」
言葉に詰まった。あの時、あっけなく熱が冷めてしまった自分への後ろめたさもあったかもしれない。

 今でも初恋がラジオで流れるのを聞くたびに思い出す、あの日、始めて聞いた村下さんの歌声、間近に見た村下さんの顔。浅い夢だったのだろうか。私の胸を離れない。

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