代理店の営業さんが先日持ってきた仕事で、クライアントの担当者がパソコン好きな人らしく、原稿と称してPhotoshopで全てデザインラフを組み上げてきたものがあった。
「デザイナーさんにこんな仕事をお願いするのは心苦しいんですけど…。」とデータを私に渡した営業さんは、それでも
「木村さんが、これは無いだろう…と思うんでしたら、これを無視して別のデザインを提案してもらっても構わないんですけど…。」と言葉を続けた。データに目を通してから
「いや、それなりにまとまってるし、まぁいいんじゃないですか? もちろん多少バランスが悪いところだけは修正させてもらいますけど。第一、ここまでやっちゃう人って下手に逆らわない方がいいでしょ?(笑)」と私は答えた。
「そうなんですよねぇ…。すみません…。」
そのPhotoshopのデータは解像度も低く、レイアウトのバランスも悪かったが、確かにそれなりに出来ている。他にもRGB色で印刷には再現できない範囲の色が使われているとか、トンボや塗り足しが無いとか、印刷泣かせの色指定だとかもあったが、そういう実務的な問題をクリアしてそのまま刷り上がったとしたら、はたしてこれがプロの作品では無いことに、どれだけの人が気が付くだろう、とさえ思った。パソコンの普及で誰にでもそれなりの物が作れる時代になっているのは、いまさら私がここで書くほどのことではないが、まさにその典型を目にした気がした。
昔、写植指定と色指定が出来ればデザイナーだという時代があった。そう書くと反論したくなる方も多いだろうが(私も反論したい・笑)、確かにそういう時代があった。そしてそういう人の名刺にはしっかりデザイナーと印刷されていた。別に写植指定などそれほど難しいものではないのだが、一般の人は写植の指定の仕方など覚える機会も無かったし、覚える必要も無かった。だからプロに頼む、そんな理屈がまかり通っていた。
ところが今は写植指定も色指定もいらない時代だ。そして誰でも「画面上でだけ」はデザインが出来てしまう。もちろんそれが印刷出来るかどうかは別問題だが、その問題にしたって要は印刷物を作るためのルールを知っているかどうかだ、と言っても過言ではないと思う。
じゃ、プロと素人の境界線はどこにあるんだろう、なんてことを考えたりする。デザインという観念論を話すと長くなるし、このコーナーでも何度か書いてきたので、ここでは書かないが、そういう概念を持った人がプロと言うのなら、プロの作ったのもは全てそうなのかと言うと、それもまた言い切れない。現実に押さえ込まれて理想になかなか近づけないのが現状だ。
じゃ、プロの作品と素人の作品の違いはいったいどこに…。で、私の結論はいつも「境界線なんてどこにも無い、あるとしたらそれでメシを喰ってるか、喰ってないかだけなのでは…。」となる。とすると、最近まともな稼ぎがない私はプロではなかったりして…。
それ以外にも、例えばデザイナーとオペレータの境界線はどこにあるのだろう、と思うこともよくある。アナログ時代はデザイナー、写植オペレータ、フィニッシュマンと、それぞれの仕事の区分は、はっきりしていた。
昔は写植機を操るデザイナーはいなかったし、いたとしても、それは本当に極々少数派だったはずだ。でも今のデザイナーは私も含め、テキスト入力くらいはするし、データだって組み上げる。逆にオペレータという肩書きの人だって、多少レイアウトを整えたり、場合によっては一から構図を組み立てたりもするだろう。この両者に境界線はあるんだろうか。やっていることは、ほとんど同じような気がする。実際、オペレータの方に箇条書きの原稿を渡して「これ、うまくデザインしておいて」と依頼するお客さんもいると聞く。さらに、ここに印刷ルールを多少かじった素人が加わったら、これはもう何がなんだか解らない事態になってしまうわけで…。
もちろん、きちんとワークフローが確立されているような現場なら、ここまでが私の仕事、ここからはあなたの仕事、という仕切はあるだろう。でも実際の話、そう言う現場は少ないと思う。
これだけ混沌としている現実の上に、この不況が追い打ちをかけているわけだから、名刺の肩書きだけのなんちゃってデザイナーなど、淘汰されてしまうのは至極当然であり、もうすぐ私もその中に入ってしまいそうで怖い。
素人が作ったデザインでも、ちょっとセンスのいい人なら、けっこうまともに見られるものが出来てしまう。もちろんプロから見れば違いは一目瞭然かもしれないが、誤解を恐れずに言えば、それを見るエンドユーザーだって素人なのだし、そんな違いにこだわりながら印刷物を眺めているわけではない。もちろん「何となく読みにくいなぁ」とか「何が言いたいのかパッと見、解りにくいなぁ」という感想は持つかも知れないが、そこまで気にするエンドユーザーって、果たしてどのくらいいるのだろう。
と、まぁ、そんな考えが日本の印刷物のレベルを下げていることは重々承知している。しかし時代はレベルの高さよりコストダウンを追い求めているのも事実。そんな現在を生き抜くためにに必要なのはいったい何なのだろう。スキル? センス? いや、スキルが高い、低いと言うことだって、突き詰めていけば、どこからが高くてどこからが低いのか、境界線なんてないわけで、センスに至っては何がいいのか悪いのか、それこそ主観の問題だ。じゃ、何? それが解れば胸を張って「デザイナーです」と言えると思うのだが、簡単に解るくらいなら淘汰されてしまう人はいない。これは永遠に結論など出ない話なのだろう。
Photoshopのラフデータをいただいた仕事は、多分夢中になって作ったんだろうな、なんて想像しながら、少しほほえましく感じながらも組み上げた。案の定クライアントは喜んだようだ。そりゃそうだろう。多少バランス修正はしたものの、ほとんどそのまま作ったのだから、もっともお客さんの意図したものになったはずだ。
ところがこの仕事をしてみて思ったのだが、人の作ったデザインをなぞってデータを組み上げるのって、結構面倒だ。そっくりそのままなぞるのであればまだしも、やはりこちらにも多少の意地はある。ここはもう少し読みやすく、だとすると、このアキはもうちょっと、でもなるべくこのデザインを壊さずに…なんて考え出すと収集がつかなくなってしまう。
しかし、もしかしたら、この「考える」という行為自体がたどり着いた結果こそが、プロと素人の境界線なのかも知れない。そのくせ、さすがにデザインフィーは取れないので、私的には非常に美味しくなかった仕事だったが。
はぁ……。
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