HITORIGOTO
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一本の矢



 アシスタントデザイナーだった頃、先輩のお使いでクライアントの所へ届け物に行った時の事だ。猛暑と呼ばれた暑い暑い夏の真っ盛りだった。電車の乗り換えのため、明大前という駅で、汗を拭きながらホームに突っ立ていた私は、ふと、その駅貼りポスターの存在に気が付いた。

 真っ白な地の中央に一本のコピー。あとはチョコンとイラストが添えてあるだけ。シンプルの極みのようなデザインだった。

プール冷えてます。

コピーはその一言だけだった。ご存知の方も多いだろう。としまえんのポスター、大貫卓也氏、岡田直也氏の代表作と言える名作品だ。

「この届け物放り出して、今すぐプール行きてぇ…。」

 したたり落ちる汗を拭きながら、一瞬でそういう感情に支配された。そして次の瞬間、そう思ってしまった自分が、ものの見事にこのポスターの作者の術中に嵌められたことを実感する。

「すげぇ…。」

 あの時の衝撃というか、ショックは今でも心の中にハッキリと残っている。曲がりなりにもこんな商売をしながら、グラフィックの持つ力にひれ伏したのはあの時が最初であり、そしてあれから一度もあの時と同程度の感動を覚えた記憶はない。大貫卓也なんて名前も知らない当時の私は、ただただ、唖然としてそのポスターを見つめたのだった。

 それから数年後、ポスター制作のノウハウが書かれているデザイン本をたまたま目にした。ハッキリとは覚えていないがサイトウマコト氏の文章だったと思う。あやふやな記憶を辿りながら、そこに書かれていた要約を記してみる。

 ポスターというのは町の風景にとけ込んでしまうから、人の目には一瞬しか映ることができない。その一瞬を逃さず、通り過ぎる人の脳裏に印象を焼き付けなくてはならない媒体がポスターだ。そのためにはターゲットを絞りこみ、そのターゲット「だけ」に向けて、渾身の力でメッセージを投げかける必要がある。
言いたいことは1つに絞る。あれもこれも言おうとすると、言葉は何一つ届かない。下手な鉄砲は数を打ってもあたらないのだ。持てる全ての力で弓を引き、たった一本の矢を狙いすませて放つ。そしてその矢尻には、とびっきりの「毒」を塗っておく。

 そんな内容だったと思う。この文章を読んだとき、私の脳裏にはあの「プール冷えてます」が再び浮かび上がった。あの時確かに私はあのポスターから放たれた、猛毒を塗った矢に射止められたのだ。

 本当に極まれにだが、私もポスター製作の仕事を受けるときがある。イメージ広告ではなく、大抵がイベントのお知らせポスターだったり、商品発売告知だったりするのだが、ポスター作りの考え方としては、これだって同様に当てはまるはずだと、あの「プール冷えてます」と「とびっきりの毒を塗った矢」の話を思い出しては、なんとかそれに近づこうとするのだが、やはり私程度の力ではなかなかどうして、そうそう、うまくは行かない。

 自分の力量不足を思いっきり棚に上げて言わせて貰うと「まずクライアントが許してくれない」というのもある。なんとか理想に近づこうと試行錯誤してプレゼンしても、
「このことも言いたいから、これはもっと大きく。これは小さくてもいけど、目立たせて。そうだなぁ、太文字で赤くしようよ。それから、せっかくこれだけスペースがあるんだから、商品写真をもう一つ追加したいなぁ。」
かくして下手な鉄砲は散弾銃のようになり、毒にも薬にもならない節操ない弾丸が、誰とも無く放たれていくことになる。

 もちろん抵抗はする。なんとかクライアントを説得しようと「一本の矢」の話を延々としたこともある。でも結局いつも、妥協を重ねた中途半端な仕上がりになってしまい、刷り上がりを見るたびに、心の中でため息をついている自分がいる。

 一本の矢にとびっきりの毒を塗る、という考え方は、ポスターだけでなく、色んな媒体にも同じ事が言えると思う。TVCMだってそうだ。わずか15秒で視聴者に印象強くメッセージを伝えるには、同じ考え方が必要だろう。雑誌広告だってパラパラとページをめくっている読者の目を止めるには、やはり猛毒が必要不可欠だ。

 「プール冷えてます」はデザイナーである大貫卓也氏が作り、添えられたペンギンのイラストはコピーライターの岡田直也氏が考えたそうだ。根底に流れている考え方が共通している2人だからこそ、そんなコンビネーションで製作が可能だったのだと思う。名コピーという猛毒があったからこそ、その毒を中和しないビジュアルを岡田直也氏は提案したのではないだろうか。

 あの毒にやられた夏の日以来、いつか自分の放った矢で、だれかを射止めてみたいと思いながら、もうすでに20年近い年月が過ぎている。

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