会社を退職し、フリーになってからもう5年以上の月日がたつ。我ながらよくもっていると思う。フリーランスなんて言うと聞こえがいいが、早い話が「日雇い労働者」だ。特に私はこれと言った定期物の仕事を持っていないので、まさに明日吹く風が冷たい北風か、心地よい南風か全くわからないまま、こうして5年以上の時間を過ごしている。
先にもさんざん書いたが、それまでつとめていた会社は、いつ倒産してもまったく不思議のない貧乏会社だった。そのわりにずいぶん働かされたが、働いた分給料に跳ね返ってくることは、とうとう一度も無かったし、働かされるだけ働かされて、あげく解雇された仲間もいる。つまりサラリーマンとはいえ、「安定」など求められないのが貧乏デザイン事務所の宿命なのだ。
ずっと昔、仲の良かったフリーのカメラマンが言っていた。
「サラリーマンは安定もあるが、それ以上に、組織内で出世すれば自分のやりたい仕事だけを優先的にやることができる。フリーは食べていくためには仕事を選べない。」
ところがその貧乏会社は、バブルがはじけてからというもの、面白味の無い仕事しか入ってこない。それまで私は数社のデザイン会社を渡り歩き、そこのやり方などある程度吸収したら、また別の会社へと移ることで、自分の腕を上げてきたと思っている。つまり自分の腕を上げられるような仕事が無く、安定もしていないその会社に、それ以上居続ける理由がその時はすでに無かったのである。実際、数名の社員が解雇されたとき「僕もクビにしてください」と申し出た。が、社長が引き止めたこともあり、一度乗りかけた船だし、このまま沈没するか、また浮き上がるかするまでは残ることにした。おかげでマックを覚えることが出来たが。
ところがこの社長、「全員で共倒れになるより、申し訳ないが生き残るためだから」と仲間数人のクビを切って、その舌の根も乾かぬうちに、自分の飲み友達の息子を社員として迎え入れてしまった。これには腹が立った。抗議をしてもラチがあかない。で、退社。32歳の秋。
誤解のないように言っておくが、決してこの社長は悪い人ではない。あまりにもお人好し過ぎるのである。だから友人に頼まれてもイヤと言い切れなかったのだろう。その人と色々なしがらみがあったことも知っている。そんな人の良さが、それまで給料が未払いでも、ボーナスが無くても、年末調整が帰ってこなくても、なんとか社員を踏みとどまらせていたのだし、私も個人的には嫌いな人ではない。ただ経営者としては決して優れてはいない人だったが…。ついでに言うと私も喧嘩して飛び出したわけではない。円満退社だったし、お世話になったと今でも心から思っている。
で、前置きばかり長くなったが、晴れて独立した頃の話しである。退社・独立を心に決めたサラリーマン生活最後の夏休み、片手に就職雑誌、片手に作品集を持って、「デザイナー募集」の会社に片っ端から「独立する予定なのですが、外注スタッフの登録はされていませんか?作品集だけでも見ていただきたいのですが」と売り込んで回った。あの貧乏会社からお客さんを取るようなマネだけはしたくなかった。すると、どの会社も反応が良く手応えも上々。それもそのはず。フリーのデザイナーの売り込みなら、どの会社も歓迎である。なにしろ必要なければ使わなければいいのだから。面接担当者は就職希望の人と、給料や待遇などで色々と駆け引きをしている中、「あぁ、こいつは適当にあしらっておけばいい。もし使えそうなら使ってやれば、喜んで飛びついてくるわけだし」なんて、まるで面接の休憩時間程度に考えていたのだろう。それはこちらも折り込み済み。2〜30社回ってそのうち1〜2社から仕事がもらえれば上出来だと思っていた。1度仕事をもらって後が続かないようなら、それは自分の腕のせい。諦めるしかない。そう言い聞かせて汗を拭きながら東京中歩き回った。
案の定1社のみだったが、確かな手応えを得た。「初めは物いりでお金が必要でしょう。家賃がもったいないから、ウチでやりなさい。机と電話を無料で貸すから」とまで言ってくれた。その言葉に甘えようか悩んでいる最中に、「採用枠を1人増やしてしまって、机が貸し出せなくなった」とお詫びの電話。「ただし、仕事はあるから退社したらいつでも来なさい」とのこと。そこまで言われれば信用してしまう。それで事務所はその会社へほど近い電車で2駅の場所にした。ちょうど自宅からも1本で通え、出力センターも近い神楽坂。
しかしというか、やはりというか、甘かった。退社翌日真新しい名刺を持ってその会社を訪れると、担当者不在。翌日も、その翌日も。やっと捕まえたと思ったら、なんだかつれない態度である。「事務所はすぐ近くの神楽坂にしました。いつでも呼んでください。」という言葉にもそっけない返事。「おいおい、こりゃマジでまずいな」と心の中に暗雲が立ちこめる。なにしろ他に何一つ仕事がもらえるアテがないのである。
しかたなく夏に回った会社全てに、名刺を持ってもう一度回ることにした。それで手応えが無かったら、また就職雑誌片手に営業して回ろう、と思っていた。そうしたら、夏にはあまり手応えを感じなかった1社から、突然仕事がもらえることになった。
「ウチの仕事は本当に安いんですけど、それでもいいですか?」
「喜んでっ!」初仕事である。かなり気持ちがへこんでいたこともあり、あの時は本当に嬉しかった。そう、あの時は…。
本当に安かった。求人用の折り込みチラシを作っている会社なのだが、B4の紙面を何分割して、そのスペースにアルバイト募集の内容を入れ込んでいるというもの。つまり1スペースあたりだいたいB7くらいの面積で、その中にお決まりの情報をレイアウトするという仕事だった。1スペースあたり数百円というギャラ。
「仕事を選べるような身分ではない」と思っていた私はがむしゃらにその仕事をした。実際それしか仕事は無かった訳だし、幸か不幸かその仕事は量だけはいくらでもあった。
1スペースあたり約15〜30分で仕上げられる仕事である。時給約1000〜2000円換算と言うところだろうか。しかし、この計算も甘かった。何しろ印刷物の制作には、その他諸々の手間がかかる。入稿打ち合わせ、デザイン校正、文字校正、色校正…。しかもその会社は、それまでパートのおばさんを使って制作していたらしい。同じ料金で出来るなら、パートのおばさんより、デザイナーを使いたい、というのがあちらさんの目的だったようだ。そこにのこのこ現れたのが私。結果、私は何人ものおばさん相手にうち合わせや校正をしなければならない羽目に。もちろんおばさんがイヤなのではない。要領を得ないのである。一文字直してはゲラだし、一文字追加してはゲラだし。これにはまいった。15分で制作しても結局仕上がるまでに何時間もかかってしまう。来る日も、来る日も、休み無しで毎日終電までこればかり作った。徹夜も珍しくはない。が、請求書に書ける金額は、せいぜい月々30万円程度にしかならない。これでは事務所の維持費で全て消えてしまう。貯金もだいぶ減ってきている。当たり前だ。生活費を入れてないのだから。しかし他に仕事はない。ジレンマに陥っていた3カ月目、例の(事務所から2駅の)会社から電話があった。
「あ、一つ仕事があるんだけど、やってみる?」
その月はすでに、その求人広告の仕事を目一杯入れていた。正直言って不可能だ。泣く泣く断ることに。受話器を置いた後しばらく考え込んだ。オレは一体何をやってるんだろう…。
結局、翌月の仕事を最後にその会社の仕事から撤退した。このままじゃすぐに貯金も底を突き、廃業が目に見えている。ビジネスとして受ける以上、ある程度採算のあう仕事を選ばなければ、自分の首を絞めるだけだと思い知った。安請け合いして、もがいてつぶれて行くなら、何もせずじっとチャンスを待っていた方が得策なのかも知れない。フリーは喰わねど高楊枝。独立後、最初に知った教訓である。
その後、幸い友人のツテで他の仕事がまわって来るようになった。もちろん最初にきちんとギャランティの交渉をして、両者納得の上でおつきあいを始めた。また、ありがたいことに最近ではこのHPを通じて「当社の仕事をしてみませんか」と言っていただける人も多くなってきた。相変わらず儲かってはいないのだが、今のお客さんとは本当に良い関係を続けてさせてもらっている。たまに値段交渉でこじれることもあるが「安請け合いはしない」という態度はかろうじて守っているつもりである。もちろん泣かされることもあるが、皆その分きちんと美味しい仕事も回してくれる。
だからここを読んでいるデザイナーの皆さんに言いたい。
仕事の安請け合いはやめましょう。自分の首を絞めるだけです。
そしてそれはみんなの首を絞めることにつながるのです。
そう、私の喰いぶちも減るのです。
だからやめましょう。やめて…。おねがい…。
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