HITORIGOTO
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親の敷いたレール



 独立間もない頃友人の紹介で、ある製作会社、A社から仕事をいただいていた時期があった。社長さんと社員2名だけの小さな製作会社。この社長さん、とっても人間的な魅力にあふれていると言うか、憎めないタイプの人で、この人に頼まれたらそうそう嫌とは言えなかった。本人がそれを自覚しているのか、いないのかは知らないが、ギャラをずいぶん叩かれた覚えがある。

 「ねぇ〜、いつもいつも悪いんだけど、予算これしかないんだよ〜。必ず今度埋め合わせするからさ〜。」
「またですかぁ? なんか、埋め合わせしてもらった記憶無いんですけど…。」
「あはは。痛いなぁ(笑)。ねっ、そう言わずに、お・ね・が・いっ。」
「しょーがないなぁ…。」
毎回こんな感じで、とうとう埋め合わせしてもらえたことが一度も無いまま、私はその会社の仕事から撤退した。とてもそこの仕事をしていると生活が成り立たななかったからだ。友人の紹介ということもあり、その友人の顔を潰さないためにも出来る限り続けたかったのだが、あのまま続けていたらこちらの身が持ちそうも無かった。

 友人に、申し訳ないけど今後A社の仕事を引き受けるのは止める、と電話したところ
「そう(笑)。まぁ、しょうがないよね。あそこシブチンだし(笑)。気にしないで。」と言ってくれた。そして
「実はさぁ、あのA社って…。」と、その友人の言葉が続いた。

 あのどこか憎めない社長さんは、お父さんの会社を引き継いだ、つまり二世の社長さんなのだそうだ。A社はお父さんの代で手形の不渡りを出して倒産寸前まで追い込まれ、別の仕事をしていた息子さんがその仕事を退職して、莫大な借金と共に会社を継いだらしい。そして今、必死に再建を図っている最中なのだそうだ。その事情を知っている友人も、いつも安い値段でシブシブ仕事を引き受けていると言う。

 いつも人なつっこい笑顔で、うまいこと安値で言いくるめられていたが、そういう事情があったことははじめて知った。そう考えてみると、あの社長さん、かなりヤリ手なのだろう。父親の残した借金を返済しながら、会社を維持させているのは、さぞや大変だろうと同情はするが、あの笑顔を一皮むけばタヌキだったのかも知れない。しかし、あの憎めない人格は、社長自身が本来持っている人間的な魅力であり、だからこそ人も付いてくるし、外部スタッフにもうまく値段交渉出来るのだろう。
やられたなぁ…とは思いながら、でも、なんとか頑張って欲しいと願う気持ちも沸いてくる。

 A社から離れて数年経つが、この前その友人と久しぶりに話したところ、今では借金も完済し、なんと小さいながらも最近自社ビルを建てたそうだ。



 A社の仕事から撤退した丁度その頃、つきあい始めた小さな広告代理店がある。仮にB社と呼ぶ。B社は社員数10数名程度の規模の会社だった。この会社を興した社長さん、目の付け所が良かったのか、とある業界に特化した代理店として活動していたため、その業界の中なら大手の代理店と渡り合えるだけの実力を持っていた。

 私に声をかけてくれたのはそこの常務さんで、営業社員を束ねている人望の厚い人だった。小規模ながらもB社は、いつも活気にあふれていて、一人の営業マンがこんなに沢山のクライアントを抱えていて大丈夫なのか? と外部スタッフの私がハラハラするくらいだった。

 この会社にも二世がいた。現社長の息子さんが平の営業として在籍していた。社長さんとしては息子さんが仕事を覚えたら、ゆくゆく自分の跡を継がせるつもりだろう。ところがこの息子さん、どうも人望が薄いらしい。確かにそういう微妙な立場だと、社内ではやりにくかろう。私とお付き合いしてくれている他の営業さんから、時々チラっとその息子さんへの愚痴や不満が聞こえることもあった。

 やがてその息子さんが営業の指揮を執るようになる。その際、現社長さんは大きな過ちを犯した。息子がやりやすいようにと、他社員の人望を集めていた常務のクビを切ったのだ。それに憤慨した他の社員達の約半数がその会社を退社した。その内の数名が、新たに自分たちで会社を興し、現在私のメインのお客さんがその会社だったりする。

 半数の社員が残ったB社だが、やがて一人減り、二人減り、とうとうB社は消滅した。わずか数年の間の出来事だった。噂に聞くところでは末期の頃には広告や印刷物製作をそっちのけで、インターネットで壺を売っていたらしい。確かにそれじゃ誰も付いて来ないだろう。



 自分の息子を会社に入れなかったのは、かの本田宗一郎だったか。ある意味、二世っていいうのは起業するより難しいのかもしれない。幸か不幸か私には親の敷いたレールなど無かったが、もしあったとしても多分そのレールには乗らなかったと思う。会社という限られた空間の中で「社長の息子」としてやっていくのは、多分、端で見るよりはるかに難しいだろう。実力もさることながら、かなり魅力的な人格を兼ね備えてないと、人は本心から付いてこない。

 会社ではないが、あの長島さんの息子だって、多分それなりの実力があったはずなのに、「長島さんの息子」というレッテルからとうとう逃れられなかったのではないだろうか。偉大な親の跡を継ぐということは、その親を超えることが出来なければ、人並み以下に見られてしまう傾向があると思う。

 もちろんその力があれば一から道を切り開くより、かなりのアドバンテージを持った、恵まれた存在かも知れない。しかし、親が敷いたレールの到達点まで駆け上がって、さらにその上に新たなレールを敷いていくのは、きっと並大抵なことでは無いはずだ。

 さて、私が敷いているレールは、いったいどこまで伸ばせるんだろう。このレールに乗る人がいるのかどうかは解らないが、せめて脱線しない線路を敷かなければ…。

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