HITORIGOTO
indexへもどる
流浪の道
--玉門関編--




玉門関(ぎょくもんかん)編に入る前にちょっと別の話を。

敦煌で宿泊しているホテルには小さいながら売店がありました。ある日そこでウロウロしていたら、添乗員の大塚さんがやってきて「ここの桜蘭(ろうらん)というワインはとっても美味しいですよ。特に白がお勧めです。」と教えてくれたので買ってみました。美味しいのなら、お土産にしようかと思ったんですけど、ワインなんて重たいもの持ち歩く気にはなれなかったので、さっそくその晩開けました。いや、これがめちゃくちゃ美味しいんですよ。ほんと。あんまり美味しいんで、重くてもいいから、あと何本か買って旅行中、毎晩飲もうと思い、また売店へ行ったんですけど、売り切れてました。悔しくて、後日別の地でもそのワインを探しました。一度だけ見つけて買ったのですが、それはまったく美味しくなかったです。同じ名前だけど全然別のワインだったのだと思います。あれから日本でワインを扱っているお店に入るたび、探してみるのですが未だにお目にかかれません。

桜蘭って聞いたことがある人が多いと思います。「幻の王国」と言われた、あの桜蘭です。近くには「さまよえる湖」ロプノール湖もあります。桜蘭の遺跡へ行くには、ここ敦煌を起点として出発するそうです。途中道はなく、ゴビ砂漠の中を突っ切って行くそうです。観光客がおいそれと行ける場所ではないので、多分今でも、どのツアーの観光ルートには入ってないと思います。そして本日の目玉「玉門関」も、当時は道が無く、おいそれと行ける場所ではなかったのです。

最初に書きましたが、中国では飛行機の予定がはっきりとたてられません。そのせいだと思いますけど、敦煌泊残り1日を残して、ほぼ観光を終えてしまった私たちでした。添乗員の大塚さん曰く、もう敦煌で見るところは全て回ってしまったそうです。なので敦煌最終日の明日は1日フリーと言うことになりました。
私にとっては待望のフリーです。海外に出たら、自分の足で町を散策するのが一番の楽しみです。思わぬ発見をしたり、そこに生活する人々の暮らしを肌で感じるには、やはり観光バスの窓越しじゃ、全然物足りないわけです。なので「やった〜」と喜んでいたんですけど、大塚さん、ある提案をはじめたのです。

「玉門関へ行ってみたい方、いらっしゃいますか? 行きたい方がいたら、明日行けるように手配します。これは全くのオプションですから、ツアー代と別にお金がかかりますけど。」

ツアー客からどよめきが…。玉門関って? とつぶやいたら、隣にいた世界史の先生が「昔の関所ですよ。」と教えてくれました。その時は「ふーん。関所かぁ。。。フリーの方がいいや。」と思った私でした。しかし、その後に続いた大塚さんのセリフが…。

「玉門関へは道がありません。砂漠の中を四輪駆動車で突っ切って行くことになります。途中、もし車が故障したら命取りなので、たとえ参加が1名でも車は2台チャーターすることになります。そうでないと、助けを呼びに行けませんから。私も長いことシルクロードの添乗やって来ましたけど、実はまだ行ったことがないんですよ。だから私もいってみたいんです(笑)。私と一緒に行きたい人、いらっしゃいませんか?」

砂漠の中をジープで突っ切る。うぉっ。面白そうじゃありませんか。でも一日敦煌の町を散策するのも捨てがたい私です。どうしよう…と、女房に相談しようと隣を見たら。もう、目をキラキラさせて手を上げてました(笑)。

結局10名弱のメンバーが名乗りを上げました。もちろん私もその中に入ってました。車2台でちょうどいい人数です。翌日、チャーターした4駆に分かれて乗り込み、いざ、ゴビ砂漠へ出発。車はトヨタでした。「木村さん達は若いから後ろね」と言われて、3列シートの最後尾のシートに私と女房は座りました。その時は、その意味があまりわからなかった私でしたが……。

車は敦煌の町を出て、しばらくシルクロード(舗装された道です)を走り続けます。やがて、車はおもむろに道を外れ、荒れた大地の中に突っ込んでいきました。「若いから後ろね」と言われた意味がわかりました。すごいんですよ。振動とかいう、生やさしいものじゃないです。頭、ガツンガツン天井にぶつけました。仕方ないので両手を上にあげて天井に手を付き、必死に体を押さえていた私たちです。この体勢で何時間も…。
でも面白い。最高に面白いです。窓からもう一台が見えます。抜きつ抜かれつ。まさにラリーです。これぞラリー。手がしびれますけど、こんな体験、そうは出来ないでしょう。窓の外は360度の地平線。荒れた大地が見渡す限り続きます。砂煙を上げて、飛び跳ねながら車はゴビ砂漠を突っ走ります。
玉門関

ふと、私はある感情に支配されました。実は女房も同じ事を思っていたようです。前の席に座っている大塚さんに、そっと言ってみました。
「できれば、ちょっとでいいから自分で運転してみたいんですけど、ダメ?」
答えは「ダメ」。大塚さんも運転してみたかったそうですけど(笑)、もしスタックでもしてしまったら大変なことになるので、諦めましょうよ。と諭されました。

ゴビ砂漠には所々、烽火台(ほうかだい)と言う、塔の形をした土のかたまりが立っていました。高さ5〜10mくらいでしょうか。昔、のろしを上げるために作られた物だそうです。ドライバーの方は、この烽火台や、ときおり地平線から覗く山の形を目印に走っているそうです。しばらくして、ひとつの烽火台のところで車は止まりました。「ここでトイレ休憩にしましょう。」大塚さんが言って、全員車を降りました。とにかく手がしびれて、ヘロヘロだったので、ホッとした私でした。

車を降りた私は何気に大塚さんに質問してしまいました。今思えば恥ずかしい限りの質問でした。私としたことが。なんてバカなことを訪ねてしまったのでしょう…。
「トイレ休憩って、トイレは何処ですか?」
大塚さんはニヤッと笑って即答しました。

「見渡す限りトイレですよ。」

はは。そりゃそうです。ここは砂漠の真ん中ですから。で、最初は男性陣がおもむろに地平線に向かって(何処を向いても地平線ですけど)用を足しました。次ぎは女性陣の番です。ここは紳士協定で男性全員後ろを向いて終わるまで待ってます。何人かの人が日傘を持ってきていたので、順番に日傘に隠れて用を足していたようです。

誰かが「あっ」と言って、足元から何か拾いました。「これは土器の欠片ですね」それを見た世界史の先生が言います。えっ? と思い、私も探してみたら、あちこちにポロポロ落ちてます。「これって、いつくらいの時代の物なんですか?」と先生に聞いてみたら、「ここにあるってことは、多分「漢」の時代の物でしょうね。」との答え。すかさず大塚さんが「それは持って帰ると捕まりますよ。置いてってくださいね。」と仰います。お恥ずかしい話、その時「漢」の時代って、どのくらい前なのかピンと来なかったのですが、日本に帰って調べてみたら、「漢」って起源前と起源後にまたがってた時代じゃないですか。さらに調べると、この玉門関が作られたのはBC.108年頃。つまり21世紀以上前ですよ。日本はまだ弥生時代。この、そこかしこにポロポロ落ちてる欠片って、ひょっとして、すんごい価値ある物だったんじゃ…。「持って帰らないでください」って、今、車で踏みつけてきたわけで、もしかして、たった今その上に小便しちゃったわけで……。なんだかなぁ…。

また車に乗り込み、天井に手を付きながらのドライブが始まりました。そして目的地、玉門関に到着。玉門関もただの土の固まりでした。四角い土壁に囲まれた中には20〜30畳くらいのスペースがあり、東西の壁に穴が開いてました。これも後から調べて知ったのですが、漢の時代は、ここまでが漢で、ここから先が異国の地だったようです。つまり当時の中国の最西端。玉門関は今で言う入国審査の場所だったのでしょう。三蔵法師もここを通り、遠く天竺(インド)へと旅立っていったそうです。とまぁ、そんなこと知らない私には、どうみても朽ちた土の固まりでした(笑)。こういう所へ行くなら、ちゃんと勉強してから行くべきだなぁ…。
玉門関

ほどなくして、また車に乗り込み敦煌の町へと引き返した私たちですが、現在は玉門関のすぐそばまで道路が完成していて、今ではわりと気軽に行けるそうです。でも今思うと、あの時道路がなくて良かったと思います。こんな面白い体験ができてホント、ラッキーでした。

つづく。

玉門関


backindexnext