HITORIGOTO
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流浪の道
--蘭州編--




車窓

吐魯蕃から蘭州までは列車の旅でした。寝台の夜行列車でひと晩揺られて蘭州へ。写真がそうですが、まるで「世界の車窓から」と言った感じでした。4人一部屋のコンバートで、寝心地は悪くなかったです。

で、蘭州と言えば黄河の流れる町として有名なんだそうです。黄河。あの黄河です。世界四大文明発祥の地のひとつ。黄河です。昔聞いた笑い話に「中国人が瀬戸内海を船でわたった時、日本にも大きな川があるんだな、と言った」というのがあります。そのくらい、黄河や揚子江は雄大な川なのでしょう。その黄河です。どれだけ立派なのでしょう。期待に胸が膨らみます。膨らみ…。膨ら……。ふく………。

写真が黄河です。ハッキリ言って江戸川や荒川の方が立派です。。。多分これだけ上流だと、さすがの黄河も狭いのでしょう。でもさぁ。これが名物かよ。と小一時間、問いつめたい気分でした。
黄河

蘭州。以上です。例によって他に覚えてません。あ、朝早起きして散歩したら、太極拳をやっている人がいっぱいいて、写真を撮ったのでついでに載せておきます。
太極拳

以上です……。以上。 のはず、だったんです。。。

んが。。。

ここで、とんでもないハプニングが発生しました。いや、ハプニングと言えるレベルでは無かったかもしれません。これはもう、トラブルでしょう。いや、事件と言ってもいいかもしれません。今まで、ホテルのトイレが水が流れないとか、列車の途中駅で停車時間にホームに買い物に出た人が、危なく列車に乗り損ねそうになったとか、まぁ、多少のハプニングはありましたけど、その程度は笑い話です。でも。これは、ちょっとシャレになりません。

最後の目的地、上海へ向かう飛行機に乗るため、蘭州空港へ着いた私たちでした。最初に書いたように、inの北京とoutの上海は、あくまで経由地で、観光は基本的にありません。特に上海は、今晩ホテルに着いて食事して寝るだけでした。その代わり、中国最後の晩として、この日の夜だけは豪華なディナーが用意されているはずでした。「もう、終わりだね。中国。面白かったね。名残惜しいね。」口々にみなさん仰います。そして今晩のディナーを楽しみにしているようです。だって、今日までの食事はお世辞にも……。まぁ、それは置いて置いて……。

蘭州空港のロビーで飛行機の搭乗を待っていました。予定時間はとうに過ぎているんですが、搭乗の案内がありません。飛行機は滑走路に待機しています。ロビーのガラス越しに、乗る予定の飛行機が見えています。何人かの人が飛行機を眺めています。この時、私はなぜかとても眠くて眠くて仕方がありませんでした。今朝早起きして散歩などしたからかも知れません。ロビーの椅子に座ってウトウトしていました。女房も同じでした。

どのくらい時間がたったのかわかりませんが、「木村さん、行きますよ」の声に起こされ、みんなの後をついて、遅れた飛行機に乗り込みました。もうだいぶ遅くなっているようです。そして、みんなの様子がちょっと変です。
「どうしたんですか? あ、今晩のディナーなら、遅くなっちゃったけど、大丈夫なんじゃないですか?(笑)」なんて、間抜けなことを言いました。すると一人が
「さっきまでね、この飛行機の下から、空港の人が飛行機を【竹ヤリ】で突いて何かやってたんですよ。竹ヤリですよ、竹ヤリ。もしかして、この飛行機……。大丈夫なのかなぁ…。いや、いくらなんでも大丈夫だと思いますけど。。。」と仰います。まだ半分寝ぼけていた私は
「大丈夫でしょ。 ゴミでも取ってたんじゃないですか? それにほら、これプロペラ機じゃないですか。いざとなったら、ジェット機よりプロペラ機の方が安全だって聞いたことありますよ。ジェット機って、エンジンが死んだら落ちるだけだけど、プロペラ機ってグライダーみたいに、しばらく跳び続けることが出来るらしいし。(本当のところは知りません)」
「そうなんですか? それ聞いてちょっと安心しました(笑)」

なんて会話を交わしながら飛行機の席に着きました。んで、私と女房はまた爆睡。速攻で寝ちゃいました。

そして。
「木村さん、着きましたよ……。」の声で起こされます。
「あぁ。すみません。上海ですか。」
「いえ………。西安です。。。」
「はぁ?」

窓を見ると確かに見覚えのある空港です。ここは西安空港。いったい何があったのか解らない私たちは、起こしてくれた人に理由を尋ねました。そして返ってきた答えは…。

この飛行機、やっぱり壊れてたんですと。。。

どうも車輪がうまく出なかったようです。西安空港の上空を何度も旋回しながら、車輪を出したり引っ込めたりして、地上からちゃんと車輪が出ているのを確認して、ここに降りたそうです。みなさん生きた心地がしなかったそうです。私はそんなことは、つゆ知らず夢の中でしたけど。やっぱり蘭州空港で竹ヤリで突いていたのは、そのためだったのでしょう。で、これも後から聞いたんですけど、この飛行機、蘭州の物ではなくて、西安の飛行機で、下手に蘭州で整備をしてみて、結果、事故が起こると蘭州の責任になるので、そのまま西安に飛ばしちゃったらしいです。なんじゃそりゃ? それを知らずに乗せられたのが私たちでした。後から聞いて、さすがにちょっと怖くなった私でした。

まぁ、そんなこんなで今日は西安に泊まることになりました。ホテルは航空会社で手配してくれるそうです。当然ですけど。
上海の豪華なディナーは夢と消えました。はは。まぁ、飛行機が落ちなかっただけ良かったのかも知れませんけど。ディナーが諦めきれない人がいたようで(笑)、その晩ホテルのバーに集合がかかりました。ディナーとは行かないまでも、最後の晩だからみんなで飲もうと。カラオケがあって何人か歌ってました。カラオケには長渕剛の乾杯とか入ってました。大塚さんと周さんもちょっと顔を出したのですが、すぐに部屋に戻っていきました、今思えばあの時、大塚さん達はそれどころじゃ無かったはずでした。何しろこのメンバー全員を、明日、日本に帰さなければならないのです。予定では上海を午前中に出る飛行機に乗る予定でした。それはもう無理です。西安を一番に出る飛行機に乗ったところで、予定の飛行機には間に合いません。多分必死に連絡を取って、なんとか明日成田へ向かう便の空席を確保することに追われてたんだと思います。

翌朝ずいぶん早く西安を出たと記憶してます。そして上海へ向かう飛行機の中で、大塚さんが言いました。
「今晩、上海で延泊してもかまわない、と言う方はいらっしゃいますか?」
多分、全員の分のチケットが抑えられなかったのでしょう。で、私は真っ先に手を上げました。女房が「えっ? いいの?」と怪訝な顔をします。だってさ、飛行機が飛ばなかったらしょうがないじゃん。確かに明日から出社予定だけど、そういう理由なら許して貰えるでしょ? ってちょっと違うけど(笑)。それに延泊すれば上海だって少し見て回れるわけで、こんなチャンス見逃す手はないっしょ(笑)。
他にも何人かの人が手を上げてました。でも。。。

上海に着いてみるとツアー客全員の分のチケットが手配できたと知らせが入りました。残念、無念(笑)。
搭乗時間が迫ってます、急いでください。と大塚さん。上海では、観光やディナーはおろか、空港で飛行機を乗り換えるだけで精一杯でした。ツアー客の分はチケットの手配が出来たようですけど、大塚さんの分は取れなかったらしく、本当は成田まで一緒の予定だった大塚さんとは、ここでお別れになりました。お世話になりました、と握手のひとつもしたかったのですが、それどころじゃ無く、搭乗口へ向かう途中、手を振ってお辞儀をすることしか出来ませんでした。

成田に着いて、みなさんとお別れをし、私たちは浦安のホテル行きのリムジンバスに乗り込みました。当時は浦安の近くに住んでいましたので。浦安のどのホテルだか忘れましたけど、到着した時はもう夜でした。そしてホテルの豪華な照明を見て、女房が
「まぶしい…。こんなに電気付けなくてもいいのに。もったいない。」と言っていたのを覚えてます。昨日までいた中国のホテルは、どこもこんなにきらびやかでは無かったですから。



こうしてシルクロード11日間の旅は幕を閉じました。そして、それから1ヵ月くらいした頃でしょうか。あの時のメンバーの一人から、1枚の葉書が届きました。「写真交換会のお知らせ」と書いてありました。会場は青山の高級中華料理店。多分、上海の夜を取り戻すつもりなのでしょう(笑)。大塚さんも参加されるようです。会費がえらく高いので躊躇したんですけど、参加しました。
当日、その料理店で予約の名前を伝え、教えられた部屋に入ってみると…。思わず部屋を間違えたのかと思いました。だってみなさん、とっても立派な格好をしています。あの時とは想像つかないくらい。男性はみんなスーツ。女性もドレスアップしてます。ジーパンとTシャツにスニーカー姿は私たちだけでした。
「みんな綺麗な格好して、誰だか解りませんでしたよ。あ、でも木村さんだけは変わりませんね(笑)。」口々に言われました…(恥)。
もちろん大塚さんともご挨拶しました。あの時何も言えなかったので心残りでしたし。写真交換会には、ほとんどのメンバーが揃いました。私は団体旅行は初めてだったので、こんな会に参加するのも当然初めてだったんですけど、他の人曰く、こんなに参加率の高い会は始めてだそうです。
最初、団体ツアーなんて、ちょっとなぁ…と思っていた私ですが、このメンバーだったら、また参加してもいいな、と思った私でした。



ここまでの話は、もう14年も前の事です。そして当時、毎年あちこち海外に出かけていた私たちですが、今ではどこの観光地のことも、ほとんど忘れていて、これだけ色々覚えているのは、シルクロードだけです。多分、私には一生忘れられない11日間だったのだと思います。そしてあの体験を、いつかどこかに書いておきたいと思っていた私のモヤモヤは、これで解消されてホッとしています。

本当に長々と、私の自己満足のために書いた文を読んでくださいまして、有り難うございました。


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